2017年9月29日金曜日

新井紀子 (2010) 『コンピュータが仕事を奪う』 日本経済新聞出版社



以下の記事は、学部一年生のための授業(「英語教師のためのコンピュータ入門」)のための資料として作成したものです。



数学者であり、「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトのディレクタも務めた著者によるこの本は、本質的な議論を提示しているため、出版から少したった今でもまったくその意義を失っていません。ここでは私なりにこの本をまとめ、私なりの意見を補いました。Qはそのまとめに関連しての私なりの皆さんへの問いかけです。

学生の皆さんはこの本のように読者に考えることを促す良書を、ぜひ自ら手にとって読んでください。下にも書きますように、私達にはある種の情報だけに還元できない「意味」を理解することがこれからますます必要になってくるわけですから



■ ホワイトカラー(知的労働者)は上下に分断される

すでに機械化が進んでいる第一次・第二次産業と、身体性が不可欠な一部の第三次産業(例えば、看護師・保育士・介護福祉士など、俳優や接客業)はこれからそれほどコンピュータやロボットといった人工知能 (以下、AI) に仕事を奪われることはないかもしれない(もちろん一部の業務は AI に取って代わられるだろうが)。だが、ホワイトカラー(知的労働者)の知的作業の多くは AI に代替されるだろう。その結果、知的労働は、AIには代替困難でありかつ人間でも一握りしかできない高度に知的な仕事をする少数の人々と、AIでは難しいが人間なら誰でもできる単純な仕事をする大多数の人々の上下に分断されるだろう (p.191)

Q これからは「AIで代替可能かどうか」という区別が重要になると考えられるが、皆さんがこれまでにつけて来た学力はその区別でいうならどちらに属するのだろうか?


■ 下層に追い込まれた知的労働者は、「セマンティックギャップ」という AI が苦手とする問題の間隙をついて単純な画像認識などをひたすらやり続けるようになるかもしれない

ある写真がデータとして提示された場合、コンピュータはそれを0と1のデジタル記号列に還元して処理するが、そこに何が写っているか --(単純なレベルでの)「意味」、ルーマンの用語でいうなら現実性 (Akutualität, actuality) -- を理解することは現時点では困難である(意味の可能性 (Potentialität, potentiality / Möglichkeit, possibility)  を理解することはさらに困難である)。これを「セマンティックギャップ」というが (p.105) 、このセマンティックギャップのため、現時点でのAIはある画像の中に猫がいるかいないかだけを判定することはできても、その画像の中にある対象を列挙すること(例えば、猫、テレビ、ソファ、カーペット、人形、赤ん坊、ぬいぐるみ等など)はかなり難しい。

関連記事(学部一年生には少し難しいかもしれませんが、よかったら読んで下さい)。
「意味、複合性、そして応用言語学」 『明海大学大学院応用言語学研究科紀要 応用言語学研究』 No.19. pp.7-17
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/08/no19-pp7-17.html

したがって大勢の人間を非常に安い賃金で雇って、データのタグ付け (この写真にあるものは「猫」、「テレビ」、「ソファ」・・・といった判断) をさせる仕事が現時点ではAIに代替できない仕事の一つとして考えられる。 (p.110) だが、この仕事は人間ならほぼ誰でも容易にできる仕事なので、こういった労働の賃金は世界の最低賃金まで下がってしまうだろう。さらに、現在でも例えばSNSの利用者が掲載する写真にタグを自発的につける習慣を奨励することによって、こういった労働は実質上無料で行われている (SNSの利用者にはその自覚は乏しいだろうが)。

Q 皆さんがウェブに何かの情報を入力するとき、その情報はビッグデータの一部として企業に使われ、ビッグデータを有する企業はますます力をもつようになるということを自覚しているだろうか?

また、上では意味の深層(可能性)を理解することはAIには困難と書いたが、意識の数学モデルは例えば統合情報理論といった形で提案されている以上、深い意味理解は AI には永遠に無理とまでは断言できない(とはいえ、ナッシュ均衡点が概念化されてもそれを計算で求めることが一般的には不可能といった例からもわかるように、数学的に「存在する」ということと「計算して、それを手に入れることができる」ということは、まったく別物である (p. 33)  ことからすれば、AI が深い意味理解をすることは事実上はできないという可能性もある)。

関連記事(これもまだ少し難しいかもしれませんが・・・)
意識の統合情報理論からの基礎的意味理論--英語教育における意味の矮小化に抗して--全国英語教育学会での投映スライドと印刷配布資料
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/08/blog-post_9.html



■ AI に代替されにくい知的仕事は、文脈理解・状況判断・モデルの構築・コミュニケーション能力等を駆使することで達成できる仕事である (p. 191)

知的労働者として生き残る少数の人々は、AI が苦手とする文脈理解・状況判断・モデルの構築・コミュニケーション能力等を駆使することによってしかできない仕事をせざるを得ないだろう。

だが、これらの能力は現在の日本の学校教育で十分に培われているかは疑わしい。例えば数学でも、実際に数式の意味を考えたりすることなく、手続き(解法)の暗記とパターン認識(「あ、この問題はこの解法を使う問題だ」)だけで高得点を取っているだけの生徒は多い (p.204)  --私も実際にこういった「元理系」の学生さんには数多く出会っています--。

だからこそ文部科学省も「思考力・判断力・表現力」や「アクティブラーニング」を推奨しているのだろうが、教員自身が暗記とパターン認識だけに優れていただけの人々で、かつ、職場でも自ら考えることなく忠実に与えられた数値目標を達成することばかりが求められているのだとしたら、学校教育で文脈理解・状況判断・モデルの構築・コミュニケーション能力等を養成することは容易なことではないだろう(教員養成の大学課程と教育行政のあり方に抜本的な改革 --というより考え方・行動様式の変革--が必要だと私は考える)。

Q 皆さんは、実際の生活の中で「文脈理解・状況判断・モデルの構築・コミュニケーション能力等を駆使すること」に長けているだろうか?



■ 抽象(化)能力

話をAI では代替できない仕事に話題を戻すなら、とりわけ重要なのが、モデルを構築するための抽象(化)能力であり、現実世界の具体とモデルの抽象を行き来できるコミュニケーション能力であろう。

新井先生は抽象能力(私の語感でしたら「抽象化能力」と呼びたいので以下「抽象(化)能力」とします)を「誰もが暗黙のうちに知っているけれども言語化されていない何かを取り出して言語化する能力」と定義します。(p. 55)  抽象(化)能力はAIで代替することがきわめて困難だろうと考えられている。AIは、限られた枠組み(フレーム)における計算は得意だが、予め枠組みが与えられていない状態から新たに枠組みを発見的に創造することはきわめて苦手としている。(p. 55)

Q しばしば試験対策は得意だが、自ら問題を発見し、その問題に対する考え方を自ら設定し、自分なりに解答を出すこと --つまりは論文執筆-- が圧倒的に苦手な学生さんがいる。皆さんはどうだろうか?


■ 英語ではなく、数学をベースにした科学技術言語がこれから大切

ぼんやりとした感覚を言語化して、そこに構造を見出し、数学的に表現してプログラミングをし、さらに商品開発するという過程のでのコミュニケーションが重要になってゆく。ぼんやりとした感覚をぼんやりと表現するだけでは経済的競争力にはつながらない。以下は、新井先生のことばの引用

「単に流暢な英会話ができたとしても、国際社会を生き抜けるわけでも尊敬を集められるわけでもありません。実はそこで語られているのは、数学をベースにした科学技術言語なのです。そのことを日本人はもっと自覚すべきでしょう。」 (p.60)

Q このことばを未来の英語教師としてみなさんはどう受け止めるだろう?


■ だが現在の多くの学校では、児童・生徒は空気を読み、考えずに解法パターンを暗記することばかりを覚えている。


現代日本の学校では、児童・生徒は、周りの空気や教師の意図を巧みに読んで無難に過ごすことばかりを学んでいるのではないか。教科の勉強でも根源的な「なぜ?」およびその疑問の言語化はひたすら避け、解法パターンを暗記し適用することばかりが奨励されていないだろうか? (p.204)

Q この観点から、皆さんのこれまでの学校生活を振り返ってみよう。



■ 意味に耳を澄ます


AIの台頭といった状況を受けて、新井先生は最終ページで次のようにこの本をまとめる。

「結局のところ、教師と子どもは、互いに対して耳を澄ますことで(形式ではなく)意味をわかりあったほうが、遠回りのように見えて、結局は早道だということです。そして、その「耳を澄ます」という能力こそが、結局のところ、コンピュータに対して、私たち人間が勝てる分野なのです。
医者も教育者も研究者も、商品開発者も意味も編集者も、公務員もセールスマンも、耳を澄ます。耳を澄まして、じっと見る。そして、起こっていることの意味を考える。それ以外に、結局のところ、コンピュータに勝つ方法はないのです。」 (p. 218)

Q およそ理詰めで考えることを得意とする新井先生が、最終段落でなぜ「耳を澄ます」といった比喩を使っているのだろう?そもそも皆さんにはこの比喩の意味はわかるだろうか?



関連記事(必読):
AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?
https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20161114-00064079/

広報誌「国立大学」Vol.46 (2017年9月):特集 AI・ロボット
http://www.janu.jp/report/files/janu_vol46.pdf



参考:この本で紹介されていたサイトの一つ
Wolframapha




 












マーティン・フォード著、松本剛史訳 (2015) 『ロボットの脅威  人の仕事がなくなる日』 日本経済新聞出版社



以下の記事は、学部一年生のための授業(「英語教師のためのコンピュータ入門」)のために作成したものです。

ここではこの本の論点のうち、皆さんにとって重要だと考えたものを列挙しました。
Q は皆さんに考えてほしい問い、※は皆さんに参照してもらいたいサイトを示しています。

これから予期される激動の時代に、皆さんよりも若い世代(わが子や担当する児童・生徒・学生)に対して賢慮ある指針を示せるように、今のうちに、しっかりと情報を集めて分析的に思考する訓練を積んでおいてください。


序章

■ 1973-2013年にかけて、一般の製造業や非管理職の労働者の所得は13%減少。しかし、生産性は107%上昇 (Kindle の位置No.117-119)

■ 人工知能は、ルーティンな仕事だけではなく、予測可能なすべて仕事にとって代わるかもしれない。 (Kindle の位置No.190)

■ 現在、全世帯の上位5%が支出全体の40%を占めているが、今後もこの高所得層への集中は進むだろう。(Kindle の位置No.229)

Q もしこの傾向が今後も続くとしたら、教師はどのような態度で教育に臨めばいいのだろうか?


第一章 自動化の波

■ インダストリアル・パーセプション社 (Industrial Perception) の機械は、周囲の環境と相互作用しながら不確定性に対処する点で、人間並みの能力に近づいている。(Kindle の位置No.324)
※ YouTube: Industrial Perception, mixed case handling
https://www.youtube.com/watch?v=Nn-gB6SaV8U

■ リシンク・ロボティックス社 (Rethink Robotics) のバクスターは、必要とされる動きのとおりにアームを動かすだけで訓練することができ、プログラミングが不要。USBでその動きを別のロボットに伝えることができる。(Kindle の位置No.334)
※ YouTube: How Baxter Robot Works
https://www.youtube.com/watch?v=gXOkWuSCkRI

■ ROS (Robot Operating System) は無料のオープンソースで、ロボティックス開発での標準的なソフトウェアプラットフォームとなりつつある。 (Kindle の位置No.351)
※ ROS
http://www.ros.org/
※ オープンソース
http://www.weblio.jp/content/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9
※ プラットフォーム
http://www.weblio.jp/content/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A0

■ 経済先進国での大規模な断絶的破壊 (disruption) は、サービス部門で起こると見られている。(Kindle の位置No.464)

※ Momentum Machines社はホームページで次のように述べている。
Our first device makes gourmet burgers from scratch with no human interaction. These burgers are fresh-ground and grilled to order and accented by an infinitely personalizable variety of produce, seasonings, and sauces. Serving a burger this great at such affordable prices would be impossible without culinary automation.
http://momentummachines.com/

■ ロボット革命で重要な役割を果たすと考えられるのが「クラウドロボティックス」である。 (Kindle の位置No.639)
※ もうどうにも止まらない! 人工知能の超進化を促す「クラウドロボティクス」とは?
https://time-space.kddi.com/ict-keywords/kaisetsu/20160719/

Q 今後のキャリア教育はどうあるべきだろうか。また、英語教育はキャリア教育のためにどんな貢献ができるだろうか? 


第二章 今度は違う?

■ テクノロジーが進展する20世紀後半以来の経済的傾向の7つの特徴:(1)停滞する賃金、(2)労働分配率の低下と企業収益の増大、(3)労働力率の低下、(4)雇用創出の減少・雇用なき景気回復の長期化・長期失業率の増大、(5)格差の拡大、(6)大卒者の所得低下および失業、(7)分極化とパートタイム職。
(Kindle の位置No.848-1087)
※ 労働分配率とは何か
http://www.first-kessan.com/category/1329922.html
※ 労働力率
http://www.weblio.jp/content/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%8A%9B%E7%8E%87
※ コンピューター化で雇用が二極化、中間スキル層が犠牲に=米調査
http://jp.reuters.com/article/computer-job-paper-idJPKBN0GP09S20140825

※ 過度な悲観論にも楽観論にも陥らない思考を学ぶためにも、以下のTED動画はぜひ見てほしい。

TED: Will automation take away all our jobs?
 


Q 皆さんは一般教養で学んでいる経済学や歴史学を「無用の長物」と考えていないだろうか?「私はとにかくいい英語教師になりたいのだから、英語しか勉強したくない」という態度は、将来、どのような英語教師を生み出すだろうか?


第三章 情報テクノロジー

■ 人間の脳の処理速度は、ねずみの脳の処理速度とほとんど変わらず、それは先端的なICの数千倍から数百万倍も遅い。人間の脳の優秀さはそのデザインの優秀さからきている。もし機械が脳の複雑なデザインを実現したらどうなるのだろう。 (Kindle の位置No.1424).
※ 技術的特異点
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%80%E8%A1%93%E7%9A%84%E7%89%B9%E7%95%B0%E7%82%B9

■ これまでのテクノロジーと比較して、ITには機械知能を組織全体に広めて労働者に取って代わる力と、「勝者ひとり占め」を生み出す傾向がある。(Kindle の位置No.1570)

Q 皆さんの身の回りに「勝者ひとり占め」はないだろうか?


第四章 ホワイトカラーに迫る危機

■ ナラティブ・サイエンス社のテクノロジー(クイル Quill)は、すでにさまざまなメディアに使用され、自動化された記事を生み出している。 (Kindle の位置No.1624)
※ Narrative Science
https://narrativescience.com/
※ 人工知能を備えたロボットが、人間から「専門的な仕事」まで奪いつつあるという話
https://news.careerconnection.jp/?p=18588

■ グーグルの翻訳システムは、まだ熟練の翻訳者の水準には達していないが、500を超える言語の中から二つを組み合わせて双方向の翻訳ができる。これは秩序破壊的な進歩ではないだろうか。(Kindle の位置No.1737)

■ IBMのワトソンに関するプロジェクトでは、"Watson Paths"で、医学生に病気の診断を教えるだけでなく、その診断をする際に用いた情報と論理と推論を示して、医学生に診断技法の訓練をしている。
※ Watsonとは
https://www.ibm.com/watson/jp-ja/what-is-watson.html
※ IBM Research Unveils Two New Watson Related Projects from Cleveland Clinic Collaboration
https://www-03.ibm.com/press/us/en/pressrelease/42203.wss

■ 従来、コンピュータはプログラムされたことしかしないと言われていたが、現在、機械学習のアルゴリズムは定期的にデータを調べて統計的な関係を明らかにしたり、自らプログラムも書くことができる。さらに、機械は好奇心や創造性まで示しはじめている。(Kindle の位置No.2077)
※ アルゴリズム
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-532
※ プログラミングの勉強に欠かせないアルゴリズムとは?アルゴリズムの種類
https://www.internetacademy.jp/it/type-of-programming-algorithm.html

■ あるプログラムは、ニュートンの第二法則も含む多くの物理法則を自力で導き出した。(Kindle の位置No.2093)
※ 「物理法則を自力で発見」した人工知能 
https://wired.jp/2009/04/15/%E3%80%8C%E7%89%A9%E7%90%86%E6%B3%95%E5%89%87%E3%82%92%E8%87%AA%E5%8A%9B%E3%81%A7%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD/
※ Computer program self-discovers laws of physics
https://www.wired.com/2009/04/newtonai

■ すでに機械が音楽を作曲することに関しては企業化がされている。 (Kindle の位置No.2153)
※ Melomics
http://melomics.com/
※  YouTube: Melomics Media
https://www.youtube.com/channel/UCiXwgm5-h9UW2BbeLQQ_wmA

■ オフショアリングは、自由貿易の一つの形態として考えるよりは、バーチャルな移民と考えた方がいいのではないか。(Kindle の位置No.2240) たとえ国内雇用を守るために国境に壁を作ったとしても、この「移民」を止めることはできない。
※ オフショアリング 
http://www.itmedia.co.jp/im/articles/0606/20/news124.html

■ だが、いまオフショアの労働者がしているルーティン作業はやがて機械に取って代わられるだろう。(Kindle の位置No.2278-2279)

Q 機械翻訳が実用化された時、学校の英語教育はどのような価値をもつのだろうか?そもそもそれは必要とされるのだろうか(されるとしたらどういう点で?)


第五章 様変わりする高等教育

■ ある研究は、作文の機械による採点は、人間の専門家にまさるとも劣らないことを報告している。(Kindle の位置No.6106-6107)
※ University of Akron News Release: “Man and Machine: Better Writers, Better Grades,” April 12, 2012,
http://www.uakron.edu/im/online-newsroom/news_details.dot?newsId=40920394-9e62-415d-b038-15fe2e72a677
この記事で、ある研究者は次のように言っている。"automatic grading doesn’t do well on very creative kinds of writing, such as haiku," he said. "But this technology works well for about 95 percent of all the writing that's out there, and it will provide unlimited feedback to how you can improve what you have generated, 24 hours a day, seven days a week."

■ ムーク (Massive Online Open Courses: MOOCs) に関するある研究は、ユーザーの多くが講座が開始されて、一、二週間で脱落し、最後まで受講するユーザーはほとんどいないことを明らかにした。 (Kindle の位置No.2558) だが、やる気のある学生にはムークは素晴らしい機会を与えてくれる。
関連記事:MOOC(大規模公開オンライン講義)による英語文化圏の巨大な力に、他の言語文化圏は対抗できるのか?
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/09/mooc.html
※ Penn Graduate School of Education Press Release: “Penn GSE Study Shows MOOCs Have Relatively Few Active Users, with Only a Few Persisting to Course End,” December 5, 2013,
http://www.gse.upenn.edu/news/press-releases/penn-gse-study-shows-moocs-have-relatively-few-active-users-only-few-persisting-

※ 教師という仕事は機械に(全面的にあるいは部分的に)とって代わられるだろうか?人間でなければならない部分があるとしたらそれは何だろう?


第六章 医療という難問

■ 機械により医療の料金が下がれば、その恩恵は大きいだろう。(Kindle の位置No.3136-3137)
※ただ、業界は経済的利益がなければなかなか自らを破壊するような革新は行わないので、楽観視はできないのかもしれない。
参考:15歳の少年、膵臓がん発見の画期的方法を開発 たった5分、3セントで検査
http://www.huffingtonpost.jp/2013/11/10/cancer-test_n_4252707.html


第七章 テクノロジーと未来の産業

■ 企業は、自己破壊的革新かこれまでのビジネスモデルかの選択を迫られた時、たいてい後者を選ぶ。(Kindle の位置No.3555)

Q 就活における「大手・有名志向」のリスクについて考えよう。


第八章 消費者、成長の限界・・・そして危機?

■ 大金持ちは高級車をひょっとしたら10台ぐらい買うかもしれない。だが、何千台もの車を買うことはないだろう。同じことは他の商品やサービスについてもいえる。マスマーケットでは消費者に購買力が配分されることがきわめて重要である。(Kindle の位置No.3685)

■ しかしエコノミストのあいだでは、所得格差が経済成長の大きな妨げになっているという一般的合意はまだできていない。 (Kindle の位置No.3773)

■ エコノミストの考え方については、ジョン・メイナード・ケインズがほぼ80年前に『雇用、利子、および花柄の一般理論』の第21章で言ったことが正しいのかもしれない。(Kindle の位置No.3820)

"Too large a proportion of recent 'mathematical' economics are merely concoctions, as imprecise as the initial assumptions they rest on, which allow the author to lose sight of the complexities and interdependencies of the real world in a maze of pretentious and unhelpful symbols. "
http://gutenberg.net.au/ebooks03/0300071h/chap21.html

「最近の「数学的」経済学のあまりに多くは、たんなる寄せ集めであり、それらの最初の前提と同様に不正確なものである。経済学者は、見栄えはよいが役に立たない記号の迷宮に入り込み、現実世界の複合性と相互依存性を見失っている」(拙訳)

※ ジョン・メイナード・ケインズ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA

■ 将来は支配的な富裕階層 (plutocracy) が、塀で囲まれた地区に閉じこもり、その周囲をロボットが警護するようになるかもしれない。これは中世の再現のように思われるかもしれないが、一つ違うのは、中世の農奴の労働力は必要だったのに対して、未来の労働者の労働力は、機械によってほとんど必要のないものとなっていることだ。(Kindle の位置No.4055)

Q ケインズの言っていることは理解できるだろうか?(この本は、経済学者向けではなく、一般読者のための読み物である。皆さんはきちんと本が読めるのだろうか?)


第九章 超知能とシンギュラリティ

■ 著者は、シンギュラリティの実現可能性をきわめて低いものとみなしているが、もし(それが何世紀後のことであれ)実現したら、それは人類のあり方を大きく変えるだろう。 (Kindle の位置No.4587)


第十章 新たな経済パラダイムをめざして

■ 若い世代の教育と訓練に投資するという方法は、必要とされる(高度な)労働力がどんどんと少なくなっていくということを勘案していないのではないか。 (Kindle の位置No.4670)

■ 最低限所得保障(Basic Income) が必要となるのではないか。
※ 関連記事:井上智洋 (2016) 『人工知能と経済の未来』 (文春新書)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/09/2016.html

■ 私たちの経済の労働集約性がどんどん低くなっていくとしたら、論理的にみて、課税計画の重点を労働報酬から資本の方へ移すべきということになる。 (Kindle の位置No.5120)
※ 労働集約型産業
https://kotobank.jp/word/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E9%9B%86%E7%B4%84%E5%9E%8B%E7%94%A3%E6%A5%AD-179062

Q 資本をもちロボットを所有する富裕層への課税を増やし、国民全員に最低限所得保障をする政策は未来の日本で採択されるだろうか?現在の日本の世情や世論にはどのような特徴が見られるだろうか?


終章

■ テクノロジーの進歩を解決策としながらも、その社会的・経済的・政治的な意味合いを認識しながら適応していくことがこれからの行く道ではないか。 (Kindle の位置No.5225)

Q 全体を通じて皆さんは何を感じ何を考えただろうか。それは今日からの大学生活にどのような影響を与えるのだろうか?








河合雅司 (2017) 『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(講談社現代新書)



以下は学部一年生用の授業(「英語教師のためのコンピュータ入門」)の導入の話題として作成したものです。■はこの本の論点の一部を私のことばでまとめたもので、→は私からの問題提起です。



はじめに

■ 人口減が始まる日本

2015年発表の国勢調査で、1920年の初回調査から約100年にして初めて人口減少が確認された(約96万人減)。2016年の年間出生数が初めて100万人台の大台を割り込んだ。(Kindle の位置No.62)

→「成長」ということばは常に肯定的なイメージと共に語られ、特に資本主義的生産体制は「経済成長」を大前提としている。だが、その前提を疑ってみることも学ぶべきではないのか?これからの社会の「成長」とはどのようなものになるのだろう?


■  世界史上類を見ない人口減

国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(2017年)は、日本の人口が40年後に9000万人、100年も経たぬうちに5000万人に減る。これほどの人口減は世界史上類例がない。 (Kindle の位置No.71)
※ 国立社会保障・人口問題研究所
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Mainmenu.asp

→皆さんが、これから職業生活を送る4-50年(2057-67年)、皆さんが教師になったとしたら皆さんの教え子が生きる2100年までの暮らしがどうなるのか考えてみてほしい。未来予測は極度に困難でまず外れるものだけれど、現時点で得られる情報から分析的に思考して仮説を立てる能力(そして現実の進行に合わせてその仮説を修正する習慣)は生涯にわたって役立つ。「教育は100年の計」ということばを軽々しく考えないでほしい。



第一部 人口減少カレンダー

■  皆さんが40歳になる頃、3人に1人は高齢者

2015年国勢調査では65歳以上人口は総人口の26.6%(約4人に1人が高齢者という超高齢社会)。2036年には3人に1人、2065年には2.5人に1人になる見込み。(Kindle の位置No.249-250)

→皆さんは学校という若い人だけが集まる集団でこれまで暮らしているから実感できないかもしれないが、これが現実(からの推計)。皆さんはこんな人口構成の社会に生きる教え子(そしてわが子)にどのような教育を授けたいだろう?


■ 女性の絶対数が少なくなる

25-39歳の女性は、2015年には1087万人いたが、2040年にはその75%、2065年にはほぼ半分となる。 (Kindle の位置No.505)

→出生率が上がっても人口減が止まらないのはこの理由。


■ どんどん結婚しなくなる男女 

生涯未婚率(50歳まで一度も結婚したことのない人の割合)は、2015年で男性23.37%(約4人に1人)、女性で14.06%(約7人に1人)。 (Kindle の位置No.691) 2035年では男性で約3人に1人、女性で約5人に1人となる見込み。ちなみに1970年の生涯未婚率は男性で1.7%、女性で3.3%だった。 (Kindle の位置No.1233)

→なぜこうなったのだろう?これは人間の適応によるものなのか、それとも社会から豊かさや余裕がなくなっているからなのか?


■ 子どもと老親を同時にケア

2015年の第一子出生時の母の平均年齢は30.7歳。今後は、育児と介護を同時に行わねばならない「ダブルケア」が増えるかもしれない。(Kindle の位置No.895)

→皆さんと皆さんの子どものために、どんな人生設計をしたらいいのだろう(人生は設計通りにはゆかないものなのだけれど・・・)



■ まもなく、1人が生まれ2人が死ぬ社会へ

2024年には国民の3人に1人が65歳以上、6人に1人が75歳以上となり、毎年の死亡者数は出生数の2倍になる見込み。 (Kindle の位置No.831)

→1人が生まれる時に、2人が死んでゆく社会がどのようなものか想像してほしい。これが今から皆さんが生きる社会となる見込みである。



■ これからの学校は、より厳しい生徒減に直面する

日本私立学校振興・共済事業団の「入学志願動向」によれば、2016年度に44.5%の私立大学が入学定員割れをしている。(Kindle の位置No.333)
→この数字は、私立小中高にもそのまま影響を与えている。


■ 労働力人口の減少は移民やAIで補えるか?

現在の状況が続けば、労働力人口は2015年の6075万人から、2030年に5683万に減り、2060年には3795万人と半減に近い状況になる。 (Kindle の位置No.741) 社会に活気がなくなり、消費が冷え込むことが考えられる。

→移民やAIにより、労働人口減は対処できるという論もあるが、もしそうだとしても、現在の日本は移民やAIによる変化に対して心理的・認知的準備ができているだろうか?


■ 社会保障費がどんどん削られる?

今後の社会保障費を、行政改革や経済成長で賄うというのは楽観すぎるのではないか。(Kindle の位置No.784)

→老齢化はそのまま社会保障費の上昇につながる。かといっていたずらに削減してゆけば、人口の多くが悲惨な晩年を迎える社会となる。そのような社会では、若者も消費しないようになるだろう(これは資本主義の蔓延に対する人間の究極の進化的適応なのだろうか?)


■  社会的インフラが朽ちてゆく?

行政の財政力が弱まれば、水道や道路や市民ホールなどの社会的インフラの維持・復旧も困難になる。電力会社や電話会社にしても人口の少ない地域へのサービスが低下するかもしれない。(Kindle の位置No.438)

→今、建てられてる建物も、当たり前のように使われている施設も、やがては必ず老朽化することを忘れてはならない。


■ 輸血用血液不足が深刻に

2027年には輸血用血液の不足がもっとも深刻になる見込み。 (Kindle の位置No.1051) 「病院に行けば助かる」という常識が通用しなくなるかもしれない。 (Kindle の位置No.1088)

→人口減に伴う変化はこれに限らず、さまざまなものがありうるだろう(その中には好ましいものもあるかもしれないが)。皆さんも想像力を働かせてほしい。



第二部

■ 大学で身につけるべき力とは

これから必要なのは、過去の常識にしばられず発想を大胆に転換すること (Kindle の位置No.1838)

→創造的思考力こそが大学で身につけてほしいこと。目の前にない物事を想像し、想像力を具体的にするための既存の知識を身につけ、これまでになかった物事を創造できる人間になってほしい。
 この授業では特に、英語とコンピュータを使いこなして学ぶ基礎的知識・技能を身につけてほしい。SNSも含む華やかな消費社会の誘惑にごまかされず、皆さんの子ども・教え子、そして皆さん自身のために、大学時代には学んでほしい。




 



2017年9月22日金曜日

On Qualitative and Quantitative Reasoning in Validity (質的研究と量的研究における妥当性の考え方)




以下は、ある読書会に参加した際に作成したお勉強ノートです。

心理測定学の背景をもつRobert Mislevyと談話分析を得意とするJames Geeと統計的アプローチと解釈的 (interpretative) アプローチの両者を視野に入れようとするPamela Mossの間の対話に基づくこの章は非常に生産的で、私としては質的研究のあり方を確認すると同時に、(単に数字を出すだけではない)きちんとした量的研究の良さを再認識することもできました。







On Qualitative and Quantitative Reasoning in Validity

Robert J. Mislevy, Pamela A. Moss, and James P. Gee

Generalizing from Educational Research: Beyond Qualitative and Quantitative Polarization (pp.67-100). Taylor and Francis.






■ 一般化は推測である

要約:一般化とは推測である。特定の状況と時間における特定の研究対象を超えて、その他の状況や時間や対象についての解釈や決定や行為を支援する場合、そこには一般化がある。 (p.68)


■ 通時的な分析

要約:共時的な見方 (synchronic view) ではなく通時的な見方 (diachronic view) で研究をすることができる。ある時点での観察に基いて特徴を抽出し、それが研究対象の「本質」 (nature) の「真」 (true) を捉えているかという研究ではなく、特徴をさまざまな時間と空間を経て (through times and spaces) 生じた軌跡 (trajectories) としてとらえる研究である。軌跡は、観察時における研究対象が存在した時間と空間によって生み出された特徴、および、研究対象がそれまでくぐり抜けてきた時間と空間に応じて変化してきた特徴の両方を有するものである。 (p.75)


■ 「研究対象のような・・・」という一般化

要約:たとえばJanieという児童対象とした研究の結果を一般化する際には、「Janieのような」人々について推測するわけであるが、この「Janieのような」という表現が曲者 (tricky) である。それが意味するのは「女の子」「四年生の女の子」「四年生」「アフリカ系アメリカ人」「中産階級の子ども」のどれなのだろうか?妥当な一般化のためには模型的理解 (model) が必要である。(p.76)


■ 模型的理解が役立つかどうかでその妥当性が決まる。

要約:ある模型的理解(モデル)に妥当性 (validity) があるかどうかは、それが役立つか (it "works") かどうかできまる。教育理論の場合、その模型的理解を用いることによって、多くの学習者の支援ができればそれには妥当性がある。しかし、実践者は常に新しくよりよい模型的理解 (new and better models) を求めているものである。 (p.77)


■ 典型的な行動記述の文法

翻訳: 私たちの言語の文法の基盤は、「行為者(主語)が何か(目的語)に対して行為する(動詞)」である。たとえば「ジャニーがリーディングの試験を落とした」である。 (The grammar of our language is built on a pattern of ACTOR (Subject) ACTS (VERB) on SOMETHING (Object) as in "Janie failed the reading test.") (p.77)


■ 社会文化状況的な見解の文法

翻訳:社会文化状況的な見解によれば、上記の文法は誤っている。結果や成果は、複数の行為者の間での相互作用および相互作用の歴史の中から生じてくるのだ (flows from)。行為者が存在している状況。従事している活動。状況や活動およびそれらに含まれているすべての事柄についての解釈。その他の行為者による相互作用や参加。状況で利用された媒介的な手立て(対象物、道具、テクノロジー)。相互作用が生じた時間と空間。これらの混沌は「システム」と呼ぶことができる。「活動システム」 (activity system) や「行為者-行為体ネットワーク」 (actor-actant network) と呼ぶ者もいる。したがって私たちの教育研究と教育評価の文法は「行為者(主語)が何か(目的語)に対して行為する(動詞)」 (ACTOR ACTS on SOMETHING) ではなく、「結果XがシステムYから生じる」 (RESULT x FLOWED from SYSTEM) といったものであるべきだ。 (pp.77-78).
※ "actor-actant network" はある理論の一派の名称のようですが、残念ながら私はこの理論をきちんと理解していません。


■ リーディングに関する二つの見解

要約:リーディングに関する以下の二つの異なる見解がある。
(1) 「活字を解読して辞書的意味を与える。だが、この意味だけでは実際の理解をする不十分」こと。
(2) 「テクストを自分の世界理解と関連付けること」 ("relate the texts to your understanding of the world")
現状のテストはたいてい (1) のリーディングをもって「活字から意味を引き出す」(to draw meaning from print) こととしているが、現実世界でのリーディングとは (2)  を意味する。(p.78)


■ リーディングテストは、読書生活の軌跡の一点に過ぎない。

翻訳:こんなシステムを想像してほしい。リーディングテストの得点をジャニーに付けて終わりとするのではなく、ジャニーがある特定の日に特定のテストでどうだったかということが、ジャニーの読書生活・読み書き能力・学習の軌跡の(模型的理解の)多次元的な空間の単なる一点としてどのように位置づけられるかを示し、さらに、「ジャニーのような」子どもおよび他の種類の子どものそのような軌跡の(模型的理解の)多次元的な空間においてもどのように位置づけられるかを示すシステムである。そのような視点を取れば、ジェニーが受けたリーディングテストも、それ自身が彼女の軌跡における一つの出来事(読み書き能力に関する一つの出来事)に過ぎないということを実感しなくてはならない。テストが軌跡のすべての上に超越し、軌跡全体に対して「判定」を下す (judge) ことなどできないのだ。(pp.78-79).


■ 推論の三つの水準

翻訳:(a) 生徒の生きてきた時空の「軌跡」の模型的理解 (models of students' "trajectories" through time and space)。だが、生徒に関してある時点で推論をした場合、その推論はその生徒のそれまでの経験に関する知識の観点から解釈されなければならないということを認識している。(b) これらの模型的理解の模型的理解 (models of these models)。それによって、調査した生徒と似た生徒に関して推論すること -- 一般化や予測 (predictions) をすること -- が可能になる。そして究極的には、(c) 調査した生徒をその一部として含む複合的で動態的な活動システムの理論 (theories of the complex and dynamic activity systems of which students are a part.) (p.80)


■ 「偉大な」統計学者は四つの水準の相互作用を理解する

翻訳:「偉大な」統計学者は、この問題 [ある学習者のある状況での学びの様子の文化誌的 (ethnographic) 記述をどう一般化するか] に、以下に区分されている四つの水準の相互作用 (interplay) を理解することで対応しようとするだろう。
1 調査されたすべての教室でのすべての時間に生じた独自の相互作用 (unique interactions)
2 上記の場所 (location) で私たちが識別し特徴づける (discern and characterize) ことができたパターンや定常性 (patterns or regularities)。これらは質的なものでも量的なものでもあるいは両者の混交でもよい。
3 上記の第二水準の要約を含む一連のデータ (Data sets containing the summaries from Level 2)
4 確率論に基づき、上記の第三水準のデータのパターンを特徴づける模型的理解 (Probability models that models that characterize patterns in the Level 3 data) (p.87).
※ ちなみに、著者が「偉大な」統計学者として例に挙げているのは、John Turkey Edwards Demingである。


■ 「悪い」統計学者は第三水準でしか仕事をしない。

翻訳:「悪い」統計学者 (a “bad” statistician) は、第三水準のデータに模型的理解を当てはめる。そのデータを吟味することなく、模型的理解を設定し (with the data taken as is, models plunked onto them)、その模型的理解から機械的に解釈を導き出し、データに含まれていたさまざまな変数に関する総括的記述 (summary description) を行う。このような研究は、学術誌や教科書や政策決定過程 (policy deliberations) のいたるところにみられる。 (p.87)


■ 「良い」統計学者は第四水準の手法を用いて第三水準のデータに対して一種の解釈学的な分析を行う。

翻訳:「良い」統計学者 (a “good” statistician) は、第四水準の手法 (techniques) を用いて、第三水準のデータに対して解釈学的分析に相当する分析 (what amount to a hermeneutic analysis) を遂行する。研究者が知っている実質的な状況 (substantive situation) に基づいているパターンを発見し特徴づけることに確率論を用いる。さらに、そのパターンで説明できない残りの部分の中に見られるパターン、つまり私たちの理解を豊かにしてくれる実質的で意味深い新しいパターンを示唆するパターンに光をあてることに確率論を用いる。(p.87)


■ テスト得点の意味ではなく、受験者がテストで行ったことの意味およびテストが受験者に対してもつ意味

翻訳:パムとボブの二人の発言を読んだ時、私は「生徒が何を知っているのか」 ("what students know" ) (NRC, 2001) という表現(本の題名でもある)に驚いてしまった。教育における評価テストとはたいていの場合、人が -- 生徒や教師や他の人が -- 何を知っているかについて探ることである。言語と学習に関する社会文化的アプローチを取る者は、言説分析を行う者は特にそうだが、そのような問いを立てない。彼ら・彼女らが立てる問いはそれとは似ているが異なる問い、つまり「人は何を意味しているのか」 (What do people mean?) ある。いかなる人がいかなる反応をいかなる種類の評価テストでおこなったとしても、評価テストの心理学者は、「その反応が何を意味するか」 (what the response means) を問うだろう。しかし私たち、社会文化的言語の人間は、まず最初に最大の関心をもって、「その人はその反応によって何を意味したのか」 (what did the person mean by the response) を問う。同時に私たちは、「その評価テスト自体(設問や課題)はその人にとって何を意味するのか?」 (p.91)


■ 評価テストが悪影響を与える場合についても考える。

翻訳:しかし、評価テストがどのような働きをしているのか、どのような目的を果たすことになっているのか、そしてどのような目的を意図せずに果たしてしまっているのかについて問うことは重要である。評価テストは学習者自身が自分自身の学習について判断をすることの役にしばしば立っている。他の人が学ぶこと、そしてよりよくより深く学ぶことを支援しようとしている人の役に立つこともしばしばある。しかし、しばしば評価テストは、学習者と教師が必要としていることに応える以上に直接的に制度が必要としていること (the needs of institutions) に応えている。時にいい意味で、時に悪い意味で。これまで論じてきたように、推論や一般化がテスト得点だけに基いて、より詳しい視点を取って初めて明らかになる詳しいプロセスとパターンとの関連を失ってしまった時、推論や一般化に関する誤りが生じてしまう。望ましい学習とそれを支援する実践の全体像は、たとえば大規模テストの得点集計からは十分に見えることがない。それゆえ、学習活動と評価テストシステムが食い違い、個々人にとっても制度にとっても間違った解釈と意図しない不公正な結末が生じてしまうのだ。 (p.98)


■ 制度により成立している実在性によって人々の考え方が決められてしまう。

翻訳:さらに、いかなる社会政策や社会科学の研究においても起こりうることだが、人々は制度化された政策、実践、そして信条 (institutional policies, practices, and beliefs) によって直接・間接に影響を受け、それらを内在化し、自分自身や他人そして社会をそれらによって判定してしまう。 かくして、社会全体が、学習や能力や知性や価値とは何かということに関する社会的な模型的理解を、制度により成立している実在性 )institutional realities) から採択するようになってしまう。そして、制度により成立している実在性は専門家の影響を社会に伝える素材となるため (thanks to the way institutional realities mediate these professionals' influence on society) 、「普通の」人々 (people "on the ground") の人生は、評価テストの専門家と彼・彼女らが開発するテストによって大きく影響される。ジャニーの学習を支援する人々がメシック (Messik) やヴィゴツキーやガダマーが評価テストに関してもつだろう洞察について探求する時間がないからこそ、私たちが行動し行為することが倫理的な義務となるのである。(p.99)











関連記事
Generalization from Qualitative Inquiry by M. Eisenhart (質的研究からの一般化について)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/09/generalization-from-qualitative-inquiry.html


2017年9月14日木曜日

山口周 (2017) 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』 光文社新書



この本は「世界のエリート」という表現にひっかかりながらも、何となく気になって購入して電車の中で読み始めたら「当たり」でした。以来、親しい人には事あるごとに薦めていますし、この本に共感できるような人とできるだけ一緒に仕事をしたいと個人的には願っています。

非常に面白く、説得力があり、かつ引用も多いので値段以上の価値がある本だと思います。その主張のほとんどに私は賛成ですが、ただ一つ、この本では「感性」と「理性」を対立概念として扱っているところが気になります。私でしたら、「感性」(Sinnlichkeit, sensibility) の対立概念は「知性」(Verstehen, understanding) だと思うのですが、まあ、それは細かなこととして、以下に私のお勉強ノートを掲載します。※印は私の蛇足です。なおこの本はキンドルで読んだので、参照した箇所の紙の本でのページ番号がわからず、キンドル独自の位置番号を掲載しています)。



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■ VUCA

要約: Volatality, Uncertainty, Complexity, Ambiguity(変転性、不確定性、複合性、多義性)を表すVUCAが、今日の世界の状況を表している。(Kindle の位置No.142)

※ ここで私は、著者が使っているのとは異なる訳語を使っている。


■ KPIの限界

要約: 現在、企業活動の「良さ」はさまざまな評価指数=KPI (Key Performance Indicator ) で計量されているが、これは企業活動のごく一部の「計測可能な側面」に限定されている。しかし複合的な全体的システムのパフォーマンスは計測可能な側面だけで測れない。(Kindle の位置No.222) また、VUCA的な状況で合理性を過剰に求めると「分析麻痺」に陥る。 (Kindle の位置No.152) さらにいうなら、昨今、コンプライアンス違反を犯す企業の共通項は、KPIで現場の尻を叩く「科学的マネジメント」に傾斜していたという共通項をもっている。 (Kindle の位置No.890)

※ 残念ながら私が勤務している広島大学でも、今、しきりにKPIによる管理を推進している。以前、私は蟷螂の斧を承知で下のような小文を書いたが、もちろんこれだけで流れが変わるわけではない。
関連記事:「研究力強化に向けた教員活動評価項目」への回答前文
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html


■ 直感の効用と限界

要約: 論理で考えても決着がつかない問題については、美意識的な直感を頼った方がいい。(Kindle の位置No.371) だがこれは論理が不要というわけではない。論理を踏み外していていくら直感や感性を働かせてもダメである。(Kindle の位置No.392)

引用: 「高度に複雑で抽象的な問題を扱う際、「解」は、論理的に導くものではなく、むしろ美意識に従って直感的に把握される。そして、それは結果的に正しく、しかも効率的である」。(羽生善治氏のことばのまとめとして)(Kindle の位置No.946-947)

※ これは将棋指しだけでなく、数学者や実践者もしばしば言っていることである(デザイナーにいたっては言うまでもない)。もちろんこの場合の「美」とは、抽象的な理念であり、それは必要十分条件として言語化できずに、感受性でもって感知されるだけである(詳しくは別項で述べるが、ボームのいう感受性 (sensitivity) は、カントのいう感性、知性、理性のどの水準でも働くものである)。


■ アート、サイエンス、クラフト

要約: サイエンスとクラフトは非常にわかりやすいアカウンタビリティをもっている一方、アートはアカウンタビリティをもてない。 (Kindle の位置No.555) だがアカウンタビリティを過剰に重視すれば、誰でも出せるような答えしか出せないようになる。(Kindle の位置No.677) 一番いいのは、アートをトップに据え、左右をサイエンスとクラフトで固めることだ。(Kindle の位置No.684) 

※ だが日本の英語教育界も含めて、現在は、サイエンスをトップに置き、クラフトを軽んじ、アートにいたってはその存在すら忘れているような人々が権力的な立場に立ち英語教育の「改革」をしている。その一方で、学習者に慕われ、教員集団と保護者に頼られる優れた実践者は、独自の美意識に基づきアートとして実践を開拓し、それをクラフトとして熟成させ、サイエンスとして得られるデータで時折チェックもしている。私は実践は、「サイエンス > クラフト >アート」という順序意識から「アート > クラフト > サイエンス」という順序意識に変わるべきだと考えている。


■ 経営とデザイン

要約: 最近、デザイナーを重用する経営陣が増えてきたが、経営とデザインは「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」という本質において共通している。(Kindle の位置No.831)

※ 経営とデザインは、さまざまな現実的制約(サイエンス的な物理的制約やクラフト的な技術的制約)の中でいかに美(アート)を追求するかという点でも似ているだろう。企業も最終的に残るのは、人々に美的な感動を与え続けている企業であろう。デザインでも、最終的に残るのは、物理的特性や使い心地で一定水準を超えているだけでなく、美しさを感じさせるものであろう。


■ ビジョンと目標・命令は異なる。

要約: 「アジアで売上トップ」などはビジョンではなく、単なる目標や命令でしかない。そこには人を共感させるような「真・善・美」がない。(Kindle の位置No.996) 

 この「真・善・美」とは「客観的な外部のモノサシ」で測られるもの以上に「主観的な内部のモノサシ」で測られるものである。その一例として、前田育男氏のリーダーシップでデザイン面で躍進し業績を回復しているマツダがある。前田氏は、マツダのデザインのキーワードを「動」「 凛」「 艶」の三つとし (Kindle の位置No.2102) それをさらに「魂動: Soul of Motion」という理念にまとめている  (Kindle の位置No.2106)。前田氏の判断基準は、「歴史に残るデザインなのか」「魂動デザイン哲学を実現できているか」 (Kindle の位置No.2174-2175) というきわめて抽象度の高い審美眼によるものである。

※ これまたきわめて残念ながら、私が勤務する大学でしばしば繰り返されているのは「世界の大学トップ100に入る」ということばである。このスローガンを聞いて鼓舞される人もいるのかもしれないが、私のような人間はそんなことばではいっこうに心が踊らない。


■ マッキンゼーの変遷

要約: 戦略系コンサルティング会社のマッキンゼーは、それまでクラフトに偏重していた企業組織の意思決定(グレイヘアコンサルティングアプローチ )  (Kindle の位置No.1135-1136) に、サイエンスによる事実と論理に基づく意思決定 (ファクトベースコンサルティングアプローチ)を導入して発展した。 (Kindle の位置No.1135)。しかしこのアプローチは、ある程度の知能をもつ人には誰でもコピーできるため、「正解のコモディティ化」 (Kindle の位置No.1154-1155) という事態が到来し、コンサルティングは過当競争にさらされるようになった。そんな中、マッキンゼーは2015年にデザイン会社のLUNARを買収したがこれは示唆的である。(Kindle の位置No.1122) コンサルティングの世界にアートを盛り込もうとしていると解釈できるからである。 (Kindle の位置No.1202)

※ この変遷は、日本の英語教育界にもあてはまる(というか、当てはまってほしい)。英語教育方法論については、当初は経験豊かな人(たいていは中高教員から指導主事などを経て大学に職を得た人)が指導するというものだったが(舶来の教授法を伝えるいわば輸入代理店的な人は除く)、1980年代から比較実験でのデータに基づく推測統計の結果を教えるやり方が普及し、少なくとも学会誌ではそのやり方が標準的なものとなった。このやり方は一定の知能があれば(最近は一定のソフトがあれば)誰でもできるものでありますます普及した。

  その中で一部の人は差別化を図り、(ざっくりとした言い方だが)1990年代は多変量解析、2000年代は構造方程式モデリング、2010年代はメタ分析などの手法で研究を始めた。だが、私の主観的な見立てに過ぎないが、多くの研究者はそういった手法の高度化に限界を感じ(あるいは単についてゆけず)、そういった「科学的」アプローチは停滞している。実践者の殆どはそんなアプローチに相変わらず無関心である(というか興味がもてない)。

 本書の趣旨からすれば、英語教育方法論についても、独自の美意識に基づくアート的な実践を重視し、それをクラフト的に整備・洗練させ、サイエンス的データでも検証するという方向に進むべきだろうが、私なりに公正を期すなら、その方向にきちんと進んでいるのかについては安心できない。

 美意識を獲得するには、幅広い教養と深い専門的献身が必要で、人間としても専門家としても長年の修養が必要である。また、アート的な成長だけではだめで、そのビジョンをクラフトの技巧とサイエンスの論理で補強するための勉強が必要である。私はそのような稀有な存在を何人か直接に知っているので、まったくの悲観はしていないが、そのような人のことを語り始めると「あの人は特別だから」などと、そんな人を目標とすることを頑なに拒む人が少なくないことには閉口している。

 ここでは「美」という理念について十分な説明はしていないし、実際、それは非常に困難だが ーこれは理念の特徴であるー、それが単なる表面的な華美さではないことはわかってもらえると思う。理想論を言うようだが、自然や芸術作品だけでなく、身の回りの道具や、日常の立ち居振る舞いや、日頃の人間関係から、抽象的な論証などのいたるところで「美」を感じるように人間的に成長しながら、英語教師という専門家としても美的な基準を求めるべきなのだろう。

 簡単なことではないが、方向性がはっきりしていることは私たちに希望を与えてくれる。